幼稚園児の教育について

将来子供を産んで、幸せな家庭を持ちたいと思い結婚している女性も多いでしょう。
結婚前は、結婚してしまえば簡単に子どもが生まれ、すぐに自分が夢にまで描いた幸せな家庭を築けるものだと信じてやまない女性も少なくありません。
しかしながら現代は、晩婚化が進み女性の結婚年齢も非常に高くなってます。
女性の卵子は加齢とともに受精しても着床するのが難しく、妊娠の確率も低くなるんです。
そこで結婚して夫婦生活を一生懸命行っているのに、子供が出来ないと悩んだり、現実にはすぐには子どもは授からないものだと希望を失いかける夫婦も多いんです。

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不妊治療や体外受精という方法もある

しかし諦めてはいけません。
現代は医療が非常に高度に進化しており、年齢が50歳前であっても自然妊娠し出産する人も少なくないんです。
不妊治療や体外受精という方法もあります。
産婦人科によっては妊活プログラムが導入されており、夫婦単位で一緒になって妊活プログラムを受けることで自然妊娠に成功する人だっています。
いままで不妊治療というと、何百万円という高額医療でありお金持たないために、泣く泣く不妊治療を断念する夫婦も多かったんです。
だが最近では政府も不妊治療に理解を示すようになりました。
このまま少子高齢化が促進すると、人口減少はもとより重要な労働力も、世界をリードする若い研究者なども輩出できずに国力が低下することに気づいたのです。
さらには、人口減少で若い労働力がなくなると、外国人をたくさん労働力として雇い入れなければならなくなります。
日本人の賃金の問題や日本人の失業、国の治安維持なども問題をはらむことになっていきます。
そして労働力がなく、各企業が思うように売り上げを上げることが出来なくなってしまうと、企業は内部留保を促進し、さらにデフレ経済が続いて日本の経済は壊滅的になるわけです。

一世帯当たりの子供の数が少なくなるという問題

少子高齢化にはこうした問題がはらんでいて、それは遠い未来のことではないとようやく気付き、少子化対策として政府も不妊治療に行政として税金をねん出することを決定しました。
そのため晩婚で高齢カップルであっても金銭面で心配なく、安心して何度も不妊治療を出来るようになりつつあります。
一見すると、子供をもうける弊害がなくなり何ら問題がなくなって少子化対策になるように思われますが、晩婚で初産年齢も高くなってくると今度は一世帯当たりの子供の数が少なくなるという問題もはらんでいることも気づかなければいけません。
少子高齢化対策は、単に晩婚で高齢でも資金に不安なく子供を作れることだけでよいのではなく、もっと若年層でも給料が十分支給され若いうちに子供を産みたいと考えられる社会にしていかなければならないといえます。
そして無事に子供がうまれたから、万事解決というわけでもありません。
幼稚園のありかたや、その教育についても良く着目して考えていかなければならない課題です。

幼稚園の送迎に行きたくてもいけないという人も少なくない

幼稚園とは多くが朝の八時にお迎えが来て、午後二時には両親のいずれかが送迎バスまで子供を迎えに行かなければならないんです。
こうしたタイムスケジュールは、生活も潤い悠々自適の生活の専業主婦であればできるものですが、年収400万円時代の現代においては専業主婦で居られる女性も少なく、幼稚園の送迎に行きたくてもいけないという人も少なくありません。
この場合には、幼稚園ではなく保育園に通わせるべきという人も多いですが、保育園と幼稚園の教育方針には大きな差異があるのも事実なのです。
子供有を預かるのだから、どちらでも一緒ではないか、預かりが長い保育園に預ければそれで済むのではないかと短絡的に考える人が多いですが、それぞれの教育内容は全く異なり一線を画します。
保育園というと0歳児から5歳前後の子供を預かり、年齢に区別なく共同生活を通じて食事や排せつ、読書や音楽などといった教育をします。
さらにお昼寝なども充実していて、アットホームで家庭の延長のような雰囲気があります。
一方、幼稚園は年齢によって年少さん、年中さん、年長さんといったクラス区分があって、小学校のような規律やスケジュールによって授業のような教育が繰り広げられます。
同じ年齢の子供たちと組で行動をともにし、協調性をとう課題が次々と課されるようになるのです。
組単位で発表会の練習、お遊戯に絵本の読み聞かせなどがあり、お昼寝の時間などは設けられてはいません。
ここでは協調性や規律、ルールを守って同い年の子供たちと協力したり仲良くして何か課題に取り組むということを通し、社会化が非常に早く習得できるようになるわけです。

まとめ

保育園であると、自分が泣けば保母さんがあやしてくれたり、一人に対して向き合って絵本を読んでくれるなど、その都度その都度の臨機応変な対応と教育になってしまうんです。
こうしたことに両者の大きな違いがあり、小学校に上がったときに社会化のスピードに多少、差が生じます。
こうした差が生まれる幼児教育をこのままでいいのか、政府は現代の親世代のライフスタイルと両社の施設の在り方を再度見直し改善することが求められます。

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畑さん教えて!お茶の水女子大学は日本では珍しい国立の女子大学

お茶の水女子大学は日本では珍しい国立の女子大学であることが特徴で、少子化の現代では多くの女子大学が合併し男女共学となっている中で、現在も女子大学としてその教育方針を一貫して貫いている事でも有名です。
その理由はこの大学が非常に長い歴史を持ち、一貫して理想的な女性像の追求を行っていると考えることができます。

お茶の水女子大学は1949年に設立された大学

お茶の水女子大学は1949年に設立された大学ですが、その起源は1875年に開校した官立の東京女子師範学校となっています。
女性にも高等教育を与えようとする当時の政府の意向により設立され、卒業生を次々と輩出した学校でもあります。
1885年には東京師範学校に合併され女子部と言う位置づけとなりましたが、その後1890年には分離し女子高等師範学校と位置づけられました。
これは男子の教育と女子の教育が異なると言う考え方のもとで、女性特有の様々な教育を施す方が良いと言う判断によるものとなっています。
また1908年には奈良県に奈良女子高等師範学校が開講され、これと区別をするために東京女子高等師範学校と言う名前に改称し、その後1949年に教育制度の変更により現在のお茶の水女子大学となりました。

1950年に文教育学部、理学部及び家政学部の3学部でスタート

大学となってからは、教育カリキュラムも分離され、1950年に文教育学部、理学部及び家政学部の3学部でスタートしています。
また当時は幼稚園の教員の不足が叫ばれていたことから、臨時に幼稚園教員養成課程を設置し、その教育も実現しました。
1952年には併設されていた東京女子高等師範学校が廃止され、この時に附属高等学校や中学校、及び小学校や幼稚園等を大学の文教育学部の付属学校に編入しています。
1954年には家政学部の中に家政学専攻科のほか、産業教育教員養成課程を設置し、女性も様々な産業教育に携わる知識を得ることができるようになりました。
その後も様々な学科を増やし、多様化する社会に適応できる優秀な女性の育成に力を注いできた学校でもあります。
お茶の水女子大学の特徴は早くから理学部が設置され、様々な物理学や科学などに携わる女性の育成に力を注いできた点にあります。

1964年には大学院理学研究科を設置

当時は戦後で男女平等が叫ばれ始めてはいましたが、実際には社会に出て働くのは男の仕事であり、女性が家を守ると言う風潮が非常に強い時代でもありました。
そのため女性が物理学や科学の知識を得てもあまり役には立たないと言う雰囲気がありましたが、その中では1964年には大学院理学研究科を設置し、修士課程をおさめることができる学科を設置しています。
またこのような教育に必要な環境として1967年には電子計算機室を当時としては先進的に設置し、実際にこれらの計算機を利用した実習などを行うことができるようになっているのも特徴です。
加えて1968年には家政学部の中に家庭経営学科を設置し、家庭内の経済的な運営に経営学を持ち込むなど、非常に先進的な教育を行ってきたこともその特徴となっています。
1970年にはラジオアイソトープ実験室を設置し、高度な物理学の実習を行うことができるようになりました。

現代社会の中で非常に注目を集めているジェンダーの問題に古くから取り組んでいる

これも当時の女子大学の中では画期的なことであり、共学の大学であってもなかなかラジオアイソトープ実験室を保有するところは少なかった中で、先進的な実習を行うことができる学校と高く評価されていました。
さらにお茶の水女子大学では現代社会の中で非常に注目を集めているジェンダーの問題に古くから取り組んでおり、1996年にジェンダー研究センターを設置し、そのあり方を研究してきた経緯があります。
2020年にはその研究の成果を踏まえ、これまで戸籍上の女性しか受け入れてこなかったのに対して、ジェンダーを積極的に受け入れる形になっており、非常に先進的な大学と評価されているのが特徴です。
お茶の水女子大学は1875年に東京女子師範学校のときには御茶ノ水にありましたが、1923年の関東大震災の際に後者を消失したことや、同じ敷地に存在していた東京高等歯科医学校の校舎拡張の必要性などもあり、大塚に移転し現在に至っています。
そのため大学設立の際には大塚女子大学にすると言う意見もありましたが、当時は「塚」は墓を意味する言葉であるためふさわしくないと言う意見が多く、そのため大塚の地に存在していながら学校の発祥地である御茶ノ水の名前を名乗ることになり、現在に至っています。

まとめ

ただし地名の御茶ノ水とは異なり、「お茶の水」と表記しているのが特徴です。
第二次世界大戦後の教育制度の改革により、古くは女学校であった多くの学校が共学となったほか、女子大学として運営してきた多くの大学も現在では少子化によりその多くが男女共学となっているなかで、設立当初の教育方針を引き継ぎ、女性の社会貢献と高い知識の習得を一貫して貫いている非常に珍しい大学となっているのがポイントです。
そのため、現在でも入学希望者は比較的多く、また多くの卒業生が様々な分野で女性ならではの特色を生かして活躍しています。

 

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